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札幌高等裁判所 昭和55年(う)195号 判決 1981年2月05日

被告人 古川正志

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人横路民雄、同村岡啓一が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意中、歯科医師法(以下単に「法」という。)一七条が実体刑罰法規として犯罪構成要件が不明確で罪刑法定主義を規定した憲法三一条に違反する無効の規定であるのに法一七条を適用して被告人に有罪判決を宣告した原判決には法令の解釈・適用を誤つた違法があるとの主張について

所論は、要するに、法一七条にいう「歯科医業」の意義が明確ではなく、通常の判断能力を有する一般人の理解において、歯科医業行為が具体的にいかなるものを指すのかの判断を可能ならしめる基準が右法条からは全く読みとれないから、右法条は憲法三一条に違反し、無効である、というのである。

そこで、検討するに、法一七条所定の「歯科医業」なる文言は、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の項一において判示しているとおり、そこに合理的解釈を施すことによつて容易にその内容を明確にすることができるものであり、かつ、所論のいう一般人においても右法条の文言に即して理解するならば、具体的な場合に特定の行為が右法条の規定内容に触れるか否かの基準を読み取ることが可能であるといわなければならない。すなわち、「歯科医業」とは、反覆継続の意思をもつて行う歯科医行為にほかならないが、かかる歯科医行為とは、歯科医療に関する一定範囲の行為であつて、我が国において国民一般に受け入れられ、確立している「医」ひいては「歯科医」の観念によれば、結局、「歯科医師が行うのでなければ国民の保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為」を指すものであることが明らかであり、以上によれば、「歯科医業」の文言の中に、一般人が右の歯科医行為の内容を感知し得る基準が含まれていることになるからである。従つて、法一七条(及び二九条一項一号)は、実体刑罰法規として犯罪構成要件が不明確であるとはいえないから、所論はその前提を欠き、失当といわなければならない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、原判決が、歯科技工士である被告人がした印象採得、咬合採得、試適及び装着(以下「印象採得等」という。)をもつて法一七条(二九条一項一号)違反罪に問擬したことが憲法二二条一項及び一三条並びに三一条に違反するとの主張について

所論は、第一に、印象採得等は、歯科技工士の本来的業務であるから、歯科技工士の免許を受けた被告人が印象採得等をすることは、憲法二二条一項、一三条で規定されている職業選択の自由、営業の自由の観点から許容されており、しかも印象採得等は、歯科技工士がこれを行つても保健衛生上有害な危険行為でないばかりか完壁な義歯を提供するうえでは、かえつて歯科技工士に印象採得等を委ねることが必要であり、かつ望ましいと言うべきであるから、憲法の右各条項にいう「公共の福祉」による制度も歯科技工士による印象採得等には及ばないところ、原判決は、法一七条が印象採得等が歯科医師にのみ排他的に許される行為であると規定していると解釈し、かかる解釈により歯科技工士の営業の自由の範囲に属する印象採得等を歯科技工士の手から奪つたものであるから、原判決の右の法令適用は、憲法二二条一項、一三条に違反すると主張するとともに、第二に、歯科技工士が印象採得等をした場合、歯科技工法(以下「技工法」という。)二〇条違反となるけれども、歯科技工士が印象採得等をしても衛生上の危険度が微弱であるため、同法の立法時においては、同条違反に対しては罰則規定を設けず、同条の趣旨を歯科技工士の力量に応じた倫理的な自己規制を期待する訓示的注意規定としたと解釈すべきであるから、被告人による印象採得等は結局不可罰の行為であるのに、原判決が、技工法二〇条の解釈適用を誤り、被告人の技工法二〇条違反の行為を法一七条の構成要件に該当する行為であると解釈し、かかる解釈適用により歯科技工士である被告人による印象採得等を法一七条(二九条一項一号)違反罪に問擬したのは、本来不可罰な行為を脱法的に処罰したものであつて、罪刑法定主義及び適正手続を定めた憲法三一条に違反すると主張する。

そこで、検討するに、そもそも印象採得等は本来歯科医師が行うべき歯科医行為に含まれ、歯科医師でない者がこれを行うときは国民の保健衛生上危害を生ずるおそれがあると認められるところ、歯科医師以外の者に対してかかる印象採得等を行うことを禁止することは国民の保健衛生を保護するという公共の福祉に適うところであり、かかる見地に基づいて、法一七条は、前判示のとおり、歯科医師でない者に対し、歯科医師が行うのでなければ国民の保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為を行うことを一般的に禁止し、もし、反覆継続の意思をもつて右の禁止に違反する者があるときは刑罰をもつて臨むこととしている(法二九条一項一号)うえ、技工法二〇条は、印象採得が歯科技工の業務に関連して敢行される蓋然性が高いことにかんがみ、同条の立言形式を通じて、印象採得等が歯科医師が行うのでなければ国民の保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為であること(従つて、印象採得等が法一七条による前記の禁止に触れること)を明らかにするとともに、歯科技工の業務に携わる歯科技工士に対して印象採得等を行うことを厳に禁止していると解するのが相当であり、我が国の歯科医療に関する法制度においては、印象採得等が歯科技工士の本来的業務の範囲に含まれるとか、歯科技工士がその営業の自由の範囲において印象採得等を行うことを憲法上保障されているとか、ということは到底いえないし、また、歯科技工士が技工法二〇条に違反しても法一七条、二九条一項一号に該当する余地がないという解釈は成り立ち得ないから、所論は、いずれも、その前提を欠き、失当といわざるを得ない(なお、所論は、技工法二〇条違反の行為が、歯科衛生士法一三条の二違反の行為より危険度が低いにもかかわらず、同法条違反の罪の法定刑よりも重い法定刑で処罰されることになると主張して原判決が法一七条を適用したことが憲法三一条に違反すると論難するが、歯科衛生士が業として歯科衛生士法一三条の二所定の行為を行うならば、法一七条、二九条一項一号違反罪が成立することが明らかであるから、右も的はずれの論難というべきである。また、所論につき、更に付言すれば、歯科技工士は、歯科医師でないとしても、歯科衛生に関するある程度の教育と試験を受けてその免許を受ける者であるから、もちろん現行法令及びこれに基づく現在の歯科技工士養成制度のままでは許されないけれども、これらの法令及び制度の改正を通じて、印象採得等の一定範囲の歯科医行為につき、その全部とまではいかないとしても、その一部を、相当な条件の下に、歯科技工士に単独で行わせることとすることも立法論としては可能であると考えられる。しかし、そのことは、いずれにしても、国民の保健衛生の保持、向上を目的とする立法裁量に委ねられた事項と解すべきであり、かかる解釈に立ちつつ、ひるがえつて現行法を検討しても、現在の法一七条、二九条一項一号及び技工法二〇条の定立にあらわれている立法裁量の内容が憲法のいずれかの条項に違反していると疑うべき事由は見当たらないのである。所論のうち、第一の主張に対し、原判決がいみじくも指摘するとおり、それが立法論の域を出ない独自の見解である、との判断を当裁判所も抱かざるを得ない所以である。)。論旨は理由がない。

三  控訴趣意中、原判決が、被告人が原判示の宗清重治ほか二五名に対して行つた義歯製作上必要な情報収集のための問いかけが歯科医行為である問診に当たるとして、右の問いかけに対して法一七条を適用したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤りがあるとの主張について

所論にかんがみ、まず、一件記録及び証拠物を精査検討すると、原審において取り調べられた関係各証拠によれば、被告人は、歯科医師でないのに、業として、昭和五三年七月二四日ころから同年一二月二日ころまでの間、被告人の肩書住居地に設けた古川歯科技工所において、被告人に義歯を修理し、若しくは製作して入れてもらおうとし、又は金冠若しくは金パラジウム冠を製作して入れてもらおうとして同所を訪れた原判示の宗清重治ほか二五名の者に対し、その希望に応えるべく、まず、従前の義歯の装着状態等について応答を求めて質問を発し、それにひき続いて印象採得等をし、もつて、右の者らに対し、その希望に基づいて、修理し、又は製作した義歯を入れてやり、又は製作した金冠若しくは金パラジウム冠を入れてやつたことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、右の事実関係によれば、被告人がした右の質問は、印象採得等を適切に行う目的のもとに印象採得等に先立つて行われたものであつて、それが印象採得等を適切に行うために必要な事項につき十分に行われないときは被質問者の保健衛生に危害を生ずるおそれを含む行為であるというべきである。従つて、右の質問が歯科医行為の一たる問診に当たることは明らかであるから、これと同旨の判断に基づき、被告人が原判示の宗清重治ほか二五名の者に対し、歯科医行為である問診をしたと肯認し、これに対し、法一七条、二九条一項一号を適用した原判決の法令適用は正当であり、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

四  控訴趣意中、被告人の原判示所為が実質的な違法性が可罰的な程度に至らぬ場合であるのに、可罰的違法性を肯定し、法一七条を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるとの主張について

所論にかんがみ、一件記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討すると、原審において取り調べられた関係各証拠によれば、被告人は、昭和三二年三月に歯科技工士の免許を受けた者であるが、被告人は、技工法一八条により歯科技工士が歯科医師の指示書によらなければ歯科技工を行うことができないと規定されており、また、技工法二〇条により歯科技工士が印象採得等を行つてはならないと規定されており、しかも、法一七条により歯科医師でない者が歯科医業をしてはならないと規定されているため、歯科技工士が免許に基づく資格であり、本来、独立した専門家であるべき筈であるのに歯科医師の指示を得なければ全く仕事ができない立場に置かれていることに不満を覚え、法や技工法の歯科技工士に対する制約が不当であるとの自己の主張を広く訴えるため、法の違反となることを承知のうえで直接行動を取る決意、すなわち、歯科医師の診断及び指示を俟つことなく、義歯等の補てつ物の製作と装着を求める患者に自ら直接応待し、その希望を聞き、問診、視診、触診等の診察行為や印象採得等を行う決意を固め、これに基づき、被告人の肩書住居地に設けた古川歯科技工所に、昭和五三年四月ころ、印象採得等をするための医療器械であるいわゆるユニツト(治療台)を購入設置したほか、同年七月ころ、数回にわたり、新聞折込みの広告チラシ約一万七〇〇〇枚を付近住民に配付し、「右の技工所において被告人が、義歯に悩みを持つ者に対し、その相談に乗つて義歯を製作し、これを入れる仕事をしている」旨を宣伝したうえ、原判示のとおり、業として、同月二四日ころから同年一二月二日ころまでの間、同所を訪れた宗清重治ほか二五名に対し、前後約八九回にわたり、問診及び印象採得等をし、もつて、歯科医師でないのに歯科医業をしたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はないところ、右の認定事実によれば、被告人の法一七条、二九条一項一号に違反する行為がそれに対して刑罰をもつて臨むべき実質的違法性を具備していることは明らかというべきであり、当審における事実取調べの結果によつても右判断は左右されない。所論は、被告人が原判示の行為をするに先立ち、依頼者に対して行おうとする補てつの範囲につき自ら限界を設け、かつ、その限界内の行為をするために必要な解剖学的、生理学的知識については、被告人が歯科医師と同程度にまで自己研さんによりそれを習得していたものであり、しかも、実際に被告人に依頼した者の多くが適切な義歯の供給を受けて感謝していることこそあれ、被告人の補てつ行為により依頼者がその生身の健康、衛生状態に影響を受けたことは全くないなどと主張するが、被告人に対する原判示の所為につきその成否が問われている法一七条、二九条一項一号違反の罪は、まず、その主体の面では、その行為者が歯科医学につきどの程度の知識を習得しているか否かにかかわりなく、歯科医師であるか否かのみによつてその成否が決せられ、また、その行為の面では、歯科医学的適合性の如何を問わず、単に歯科医行為に当たるか否かと反復継続の意思を有していたか否かとによつてのみ、その成否が決せられ、更にその結果に関しては、実際にその相手方となつた者の健康に害を生じたか否かに全く関係なく、何ら危害が生じなかつたときにもその成立を肯定すべきものであるから、仮に所論の諸事情が認められるとしても、それによつて、前認定のような決意のもとに、約四か月もの期間、合計二六名もの多数の依頼者に対し、前後約八九回の多数回にわたり敢行された被告人の原判示の所為の実質的違法性(換言すれば法律により歯科医師の活動領域を定め、それを通じて国民の保健衛生を保護せんとする法規範に対する違反の実質的な内容、程度)がその可罰性を問題にすべき程度にまで影響を受けるには至らないと解される。従つて、結局、被告人の原判示の所為が可罰的違法性を有するものと肯認し、これに対して法一七条、二九条一項一号を適用した原判決の法令適用は、その結論において正当であり、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

五  控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論(控訴趣意書第二点において、弁護人は、原判決の量刑が憲法一四条一項及び三一条にそれぞれ違反する旨の記載をしているが、控訴趣意書第二点の記載全体によれば、そこにおける主張は、要するに、原判決が、被告人に対し、法一七条違反事案に対する従来の量刑又は歯科衛生士法一三条の二違反の罪の法定刑の上限を超えて、懲役八月、三年間執行猶予に処したのは不当である、との量刑不当の主張にほかならない。)にかんがみ、一件記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて諸般の情状を検討すると、本件事案における被告人の動機、目的並びに被告人による本件違反行為の内容及び態様は、既に前記四に認定判示したとおりであり、特に、被告人が、法や技工法の規定内容を熟知し、従つて法の違反として処罰されるに至るべきことを承知のうえで、本来立法の分野で主張すべきことがらを直接行動により世に訴えようとして敢えて本件違反行為に及び、かつ、取締当局の再三にわたる警告をも無視してその行為を継続したばかりか、原審において、なお、被告人が「有罪判決が出ても本件と同様の行為を続ける」と述べていることを合わせ考えると、犯情ははなはだ良くないといわなければならない。従つて、他面において、被告人が自らを歯科医師の如く装つたことはなく、歯科技工士であることを依頼者らに対して明示するとともに、依頼者に対する歯肉切開、注射、抜歯、投薬などの歯科医行為をしないことを説明していること、そして、被告人自身、義歯のうちでも着脱式の有床義歯及び金冠など歯冠に限つて依頼者の希望に応じ、その印象採得等と製作とを行うようにその行為の範囲を限定していたこと、また、被告人は、右の範囲の行為を行うにつき必要な歯科衛生上の知識については自ら研さんを重ねてきたこと、被告人の本件行為によりその保健衛生上直接障害を生じた者があるとは認められないこと、逆に、被告人に対し、良い義歯を提供してくれたと感謝している者が存在すること並びに被告人には何ら前科がなく、また法一七条(二九条一項一号)違反行為以外には犯罪歴がないことなど、被告人のために有利な、又は同情できる事情を十分考慮しても、被告人に対して罰金刑を選択するのは相当でないというべきである。それゆえ、被告人に対しては、懲役刑の選択がやむを得ないところではあるが、同種事案に対する従来の量刑等諸般の事情をも斟酌すると、その刑期は必ずしも長期に及ぶ必要はないと考えられ、かかる見地からすると、被告人を懲役八月・三年間執行猶予に処した原判決の量刑は、その刑期の点でいささか重きに失し、不当であると判断される。論旨は右の限度で理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において更に次のように自判する。

原判決が確定した事実に原判決挙示の各法条を適用した刑期の範囲内において、前記諸事情を考慮し、被告人を懲役四月に処し、情状により刑法二五条一項を適用して、この裁判が確定した日から二年間右の刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決をする。

(裁判官 山本卓 藤原昇治 雛形要松)

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